■どうにもとまらない■


 山本リンダさんの代表曲である。

 「恋のカーニバル」というタイトルが、当初候補に上がっていた事に示されるように、サンバのリズムによるラテン系の曲である。
  ただ、作編曲の都倉俊一氏は、ラテンとしてよりもロックとしての編曲をしておられたようだ。当時、ボサノバ、ジルバ、マンボといったラテンは、ひとつの歌謡曲ジャンルとして先行していたため、新しさと若々しさを狙った編曲としてロックを選んだのだろう。
 一方、テレビ出演の際はラテン系のパーカッションのソロが入ることが多く、大変熱情的な編曲だった。夜のヒットスタジオでは、よくダン池田さんがブラジル風の衣装を着てコンガをたたいておられた。ラテン系パーカッション担当のバンドマンの方々が、ノリノリでバックアップしておられたのが印象的だった記憶がある。

 「どうにもとまらない」の編曲は、この後1980年頃にルンバ風のものが登場する。間奏の「UH」「AH」というシャウトが「BAH」「YAH」という発声になり、お洒落な大人の雰囲気の編曲である。35周年コンサートで使っておられた編曲も、間奏の部分にこのバージョンの名残があった。
 次の大きく変わった編曲は、第3次ブームの際のスローバラードである。クラシックの「運命」を間奏に用いた非常にセクシーな編曲は、最近の方でも聞かれた事があるかと思う。

 1973年に、「題名のない音楽会」という番組で、プロジェクトチームによるエンタテインメント創りというテーマで、山本リンダさんが取り上げられた。司会の黛俊郎氏のインタビューに、作曲家の都倉俊一氏が答えるという形で紹介された「どうにもとまらない」の誕生秘話には驚かされた。
 実は、「どうにもとまらない」には現バージョンの前に二つのバージョンがあって、1番最初のバージョンに至っては調がメジャーだったという話である。この2バージョンは、番組中でリンダさんの歌唱によって紹介された。都倉氏が「ちょっと歌謡曲にしては高級すぎるでしょ」と言っておられたが、非常に洒落たメロディーラインである。
  この1番最初のバージョンは、後に曲想をがらっと変えてリンダさんご自身の曲のベースになっている。その曲とは、少々意外だが「きりきり舞い」である。きりきり舞いのAメロは、どうにもとまらないの初期バージョンのAメロからきている。

 「どうにもとまらない」は衣装にも何通りかのバージョンがある。バリエーションで1番有名なのは、LPのジャケットに使われているミッドナイトブルーのもの。胸元に大きなバラがあしらわれていて、大変カッコイイ。バラをあしらった衣装には、ブラウスが黒のものがグラビアで残っている。さらに、スパンコールの黒のブラウスでも歌われた事があるが、これは後になっての事かと記憶している。
  有名な赤のブラウスと黒のパンタロンにも、いくつものバリエーションがある。まずシングルのジャケットにつかわれたジョーゼットのブラウス。袖はシースルーで袖口にはボタンが四つもついたカフスまでついている。それから盛夏に着ておられた七分袖のもの。こちらは生地も普通のもので、ぐっとカジュアルだが、丈が非常に短かった。また、当時のグラビアなどを見ると、ブラウスには他にも襟やそでのバリエーションがかなりたくさんあったらしい事がわかる。
 面白いのは、NHKの紅白用に作られたというバージョン。パンタロンは股上が深くおへそぎりぎり。シャツの結び目でおへそが隠れるようになっていた。もっとも、当日のビデオを見ると、どうもリンダさんは、その、事前にOKが出ていたとされている衣装ではない、オリジナル版の過激な方の衣装を着ておられるようだ。
  その後、随分立ってからテレビで拝見した時に、同じデザインの白い上下で歌っておられたことがある。この時のブラウスはレース地で大変エレガントな印象だった。また、リンダさんが書かれた「歌に愛をこめて」には、明るい色のどうにもとまらないの衣装を仮縫いをする、リンダさんと椎名アニカさんの写真が出ている。この衣装はテレビでは拝見していないが、大ヒット曲であるから、この他にも後になって色々なパターンのものを作られたのだろう。